僕が川好きである理由

                                                 飯泉 純


  ドイツ文学者の池内紀先生がお書きになった『川の旅』(青土社刊)が座右の書である。 川を学術的に追求した書籍は多数あるが、旅という観点から川を追求した書籍は、ほとんど目にすることがない。 

 僕は子供の頃から川が好きだったが、でも、何故好きなのかという理由を見つけることができなかったのだが、この本によって初めて理由付けができたような気がするのである。

 僕を含め、人が川に関心を持つ、川が好きになるきっかけというのは、家の近所にある川が何処から流れて来るのだろうという疑問を持つことから始まるのである。 そしてある日思い切って川沿いを歩き始めるのである。 途中までは遊歩道や堤防沿いを歩くことは出来るが、ぷっつりと道が無くなり、とても人が入れないような場所に川が消えるのである。 でも、まだまだ川はずっと先から流れてきているらしく、ここまで来たのだから、最後まで追いかけてみたくなる。 地図を片手に人が入れる所まで迂回し、また川沿いを歩き、また道が無くなり、迂回してということを繰り返している内に、遂に水源にたどり着くのである。 家の近くを流れている川の出発点(水源)はこんな場所だったのかと驚き、そして喜ぶのである。 さらに、その川が何処まで流れているのか知りたくなり、今度は下流へ向けて歩くのである。 1つの川を歩くと、今度は別の川を歩き、更にまた別の川を歩く、それを繰り返すのである。 気が付けば川を歩くことがライフワークとなり、とにかく川という川を見たり歩いたりすることが好きになってしまうのである。

 この日本という国に幾つの川が流れているのだろう。 数えたことはないが、おそらく何万という川が、この狭い国土を流れているのだろう。 じゃあ世界中に川が幾つ流れているのだろうということまで考えたら、たぶんすごい数になるに違いないのだ。 つまり世界中にある、すごい数の川から文化が生まれているということになるのだ。 1つの川でも流域によって文化や風習は異なるので、単純に考えれば、世界中の川から何千万、何億という文化が生まれているということなのだ。

 池内先生の言葉を借りれば、今我が国では、川に対し様々な論議が起こっている。 最近では川辺川のダム建設問題、長良川や吉野川の河口堰建設の問題などが挙げられるが、一方ではダムや河口堰の必要性を訴え、一方ではダムや河口堰は環境破壊になるので不要であることを訴えている。 僕はあえてどちらの側にも属していない訳だし、今後もニュートラルの立場で川を追求して行くつもりである。 更に池内先生の言葉を引用すれば、1つの川をめぐり、どのような論議をするにせよ、あわせて数多くの川を見て歩かなくてはいけないと思っている。 川への関わり方は人それぞれ違うわけだし、見方や考え方も人それぞれなのである。 とにかく今はいろいろな川を見たり歩いたりして、それぞれに異なる川の魅力であったり、性質を見つけることに重点を置いているのである。

 僕は今『水辺案内人』というフリーペーパーの発行を準備しているが、川や湖、海辺に至るまで、水辺の魅力というものを、できるだけ多くの人に伝えたいと思っている。 その行為を喜んでくれる方がいる一方、うさん臭いと思っている方も実はいるのだ。 でも僕は純粋に川などの水辺が好きで、その水辺の魅力を多くの人に伝えたいだけなのだ。 

 これからも僕は僕なりの方法で川を愛し、追求して行きたいと思っている。
 



   荒川水系芝川(埼玉県さいたま市緑区)